水無月◆小江戸川越 [歩く]
6月の歩こう会は小江戸・川越行。生憎の天気予報のため9名の催行になったが、幸い傘をさすこともなく、結果、ベストな日和だった(6/6)。
NHKの朝ドラのせいか、人出は多い。30余年前、近くの沿線に住んでおり、その後も何回か訪れている川越だが、今回のようにコースで歩いていなかったし、このような蔵造りの町並みは初めてといった感じ。
それにしても、コーヒー(豆)店が多いのは、なぜかは、聞きそびれてしまった。
一番多く訪れたのは、喜多院、そして五百羅漢。連れ合いは、ここの羅漢様がいちばんお好きのようだから、また行ってみよう。そして今度は、気になった石造りの洋館風の珈琲店に座り、先日同行の奥様が求められた“槐でつくったゴマすり器”を、また眺めてみよう。値6040円で、買おうかどうか迷ったが、財布のひもは固かった。
菓子屋横丁では、M製菓のご主人の「かあちゃんがいま練り上げたばかり」という、ほの温かい“麦棒”を、おかみさんの手から試食できた。「じゃあ、それをほしい」と注文したら、「一晩置かなければダメ」。「なら、昨日つくったヤツを」には「もう売り切れ!」。 仕方ないから、他の店で求めた。「売り切れ」も残念だが、「練りたて」の口福なんて、めったにあることではない。
藤沢から鎌倉 [歩く]
シニアクラブ・春のウォーキングは大磯 [歩く]
大磯は、茅ヶ崎からは手近かな宿場町だ。日本橋からは8番目で、本陣が3宿あった。山もあり、海もあるが、平地を歩くのに見どころに不足はない。といことで、わが団地のシニアクラブ春のウォーキングを大磯町めぐりに決め、下見に出かけた。
何回も歩いているコースだが、一行の顔ぶれを考えると、やはり下見は欠かせない。大磯駅前の「澤田美喜記念館」には、エリザベス・サンダース・ホームで知られている澤田女史が集めた“隠れキリシタン”の資料が842点以上展示されており、訪れる予定。だが、今日は休日で記念館は開いてないから、予約はできない。92歳のご老体が、ひとりで管理されているとかだが、電話だけの会話で、当日お目にかかるれるのは楽しみだ。
さて、当日は往路を東海道沿いに城山公園まで、帰路は官の道(鎌倉道・古東海道)を採る予定だが、城山公園でコバノタツナミソウが同じように迎えててくれるだろうか。
皐月◆鎌倉から港南台へ [歩く]
陸のサンゴ礁・ミズキは、いま真っ盛り
今月末の団地総会を控え、やっと議案書も下版でき、気兼ねなくのウォーキング。瑞泉寺の手前から登り、天園、横浜自然センターを経て港南台への、定番の道だが、港南台に住んでいたときはこの逆コースが多かったから、瑞泉寺からはいるの久し振りだ。
この時季は、マルバウツギが満開で、同じくシャガもいたるところで満開、自然センターではニシキウツギが花をつけていた。
山歩きで苦手は蛇。もっとも、ヤマヒルのほうがもっと嫌だが・・・。自然センターへの降り口で出会ったのがヒバカリというかわいい奴。最初はミミズの太いのかと見えたが、シャッターを押す間もなく草むらへ入ってしまった。
次いで出会ったのがヤマカガシで、1.5mほど。ゆうゆうと道を横切った。模様が鮮やか。
結構忘れないもので、場所は少しちがっていたが、コースに1本立つハリギリは、たくましく成長していた。
青梅梅林 [歩く]
先月に予定していた青梅梅林行きだったが、企画者のIさん、さすが毎年訪れていることから、日延べしてバッチリだった。当日の夕刊1面を飾ったほどの光景を共有することができた。
青梅ははじめてで、こんな梅林風景は予想していなかった。山にはりついている幕山梅林、平地の偕楽園や曽我の梅林とはちがって、山肌に奥行きを活かしたつくりになっている。さらに、サンシュユの黄色、玄海躑躅の白・赤が効いて、華やかな山に仕上がっている。
当日は日向和田駅から二俣尾駅へのルートをとったが、道沿いの大ぶりのミツマタ、しっかりしたカタクリ、春の呼子オオイヌノフグリと、多彩な歩きだった。
深川七福神・清澄公園と神大吹奏楽 [歩く]
10日は新年の歩こう会・深川七福神巡りだが、あいにく管理組合の理事会とぶつかってしまったから、理事会を優先。ということで、今日、深川へ二人ででかけ、そのあと池袋・東京芸術劇場の神大吹奏楽部の定期演奏にぎりぎり駆け付けた。「ぎりぎり」になったのは、途中寄った清澄公園で、ボランティアガイドの話をききすぎたからだが、有益な予定外イベントだった。
なんともしゃれた「商い中」
昨年11月、スペイン・アルテアでの「国際吹奏楽コンクール」で、選ばれた80人の学生楽団が見事に1等を受賞。今日は4年生としては最後の演奏会で、涙の納めでもあった。
シニア・ウォーキング江ノ島古道 [歩く]
10月2日に下見に行った「江ノ島古道」の本番。藤沢から江の島まで「大山古道」を繋いでの歩きで、町田市の北部が源流である境川にそった趣の異なるポイントを巡った。
この泉蔵寺は唐破風の造りが目を引く。屋根に鯱鉾がのり、武田菱が鮮やか。道に面しているが静かな真言宗のお寺さんである。創建は北条康時というが、当初は近くの鯨骨にあって、新田義貞の鎌倉攻めで焼かれたため、現在の片瀬の地に再建されたそうだ。
この2つの写真は密蔵寺(真言宗)で、手入れがいきとどいたカツラは小暮実千代「愛染かつらの木」。といっても、その意味をわかるひとも少なくなったが、さすがシニアグループだから、両者の関係に説明はいらない。このカツラの木は愛染明王を祀っての記念樹だそうだが、語呂合わせなのだろうか。
また、密蔵寺には弘法大師の石像が30体ほどある。当初は88体が目標だったが、関東大震災で中断したままである。
片瀬の地には諏訪神社が上社・下社とあるが、上社・下社を備えているのは、信濃の諏訪大社とここだけだそうだ。神紋が上社・下社で若干ちがうところがおもしろい。写真は下社のものだが、梶の木に4本の根付の紋が上社、5本の根付が下社。 諏訪大社も上社は4本根付、下社は5本根付という。一般の諏訪神社は梶の葉の紋でも根は付いていないとか、これもおもしろい。
元の使者供養塔
常立寺(日蓮宗)には「誰姿森(たがすがたのもり)」と刻まれた供養塔がある。建治元年に処刑された元の使者・杜世忠など5人を葬った塚といわれる。誰姿森といわれるこのあたりは「龍の口」と呼ばれた刑場の跡地という。
この泉蔵寺は唐破風の造りが目を引く。屋根に鯱鉾がのり、武田菱が鮮やか。道に面しているが静かな真言宗のお寺さんである。創建は北条康時というが、当初は近くの鯨骨にあって、新田義貞の鎌倉攻めで焼かれたため、現在の片瀬の地に再建されたそうだ。
この2つの写真は密蔵寺(真言宗)で、手入れがいきとどいたカツラは小暮実千代「愛染かつらの木」。といっても、その意味をわかるひとも少なくなったが、さすがシニアグループだから、両者の関係に説明はいらない。このカツラの木は愛染明王を祀っての記念樹だそうだが、語呂合わせなのだろうか。
また、密蔵寺には弘法大師の石像が30体ほどある。当初は88体が目標だったが、関東大震災で中断したままである。
片瀬の地には諏訪神社が上社・下社とあるが、上社・下社を備えているのは、信濃の諏訪大社とここだけだそうだ。神紋が上社・下社で若干ちがうところがおもしろい。写真は下社のものだが、梶の木に4本の根付の紋が上社、5本の根付が下社。 諏訪大社も上社は4本根付、下社は5本根付という。一般の諏訪神社は梶の葉の紋でも根は付いていないとか、これもおもしろい。
元の使者供養塔
常立寺(日蓮宗)には「誰姿森(たがすがたのもり)」と刻まれた供養塔がある。建治元年に処刑された元の使者・杜世忠など5人を葬った塚といわれる。誰姿森といわれるこのあたりは「龍の口」と呼ばれた刑場の跡地という。
修学旅行・日光東照宮 [歩く]
元生徒の面々が、思い出も新たに訪れた日光東照宮。それぞれに、何十年もまえに訪れていても、東照宮の陽明門だけが記憶に鮮やかで、あとはどこを見たか覚えていない。
まして自分の小学校時代は、鎌倉が行先だった。もっとも、戦後豊かでなかった時代だから、「1人でも行けない子がいたらダメ」という、わが担任先生の言で、修学旅行は近間のハイキングになった。だから、その“1人”のひとりでもあった自分にとっては、修学旅行としての鎌倉、日光は思い出の外である。中学、高校ではもっぱら関西だった。
以後、日光へはいろいろな形で訪れているが、今回のように、東照宮、二荒山神社、大猷院と回ったことはなかった。とくに、家光の墓所大猷院は、参詣者も比較的少なかったが、時期がもう少し遅ければ、紅葉真っ盛りの大猷院だった。
神無月●江ノ島道 [歩く]
今月14日予定の大山道につづいて、来月に予定しているシニア・ウォーキングの下見で江ノ島道を歩いた(10/2)。
この道のポイントは、杉山検校(慶長15年 1610- 元禄7年 1694)が建てたという「江の島弁才天道標」である。
元禄期に杉山検校が、その弁財天の霊験によって鍼術の妙技を授かったことから、江の島から半径1里以内の岐路に寄進している。元は48基あったというが、現在は12基残されている。
3面に「一切衆生」「ゑのしま道」「二世安楽」と刻まれている。
ただ、ひとつの道標だけには、前面に「西行もどり松」と刻まれている(本来は裏面で、本蓮寺から移されたときに前向きに置かれたとか(下の写真)。昔西行法師が東国に下った際、この松の枝ぶりの見事さに都恋しくなり、思わず見返って枝を西にねじったと伝えられているが、いまは何代目かの松。この前の八百屋で、今年初の紅玉を求めた。今年2度目の入荷ものだった。