青春18切符 小諸行 [旅]
●小諸駅の野菜売場で求めたルバーブ。544gで¥300とは、質量ともに感激するほどのお買い得!
青春18切符を消化すべく、5:30の電車で出発。相模線で八王子に出て、甲府乗り換えで小淵沢へ。小海線は特急で先行している乗客で空席はなし。でも、清里、野辺山でガラガラは予想どおり。
予想が外れたのは、期待の八ヶ岳が顔を出さなかったこと。残念!
電車は12時丁度に小諸着。数年前入ったそば屋でお昼にしたが、ちょっと期待外れ。が、今回の小諸行は北国街道・小諸宿を訪れることだから、そそくさと店を出る。
●旧小諸藩本陣・問屋場:現在は外から眺めるだけ。
●本陣・問屋場の薬医門
●脇本陣「粂屋」
●脇本陣
●小諸宿からの見る山並み:黒斑山、高峰山など
●小諸城の大手門(内側から):5間幅の櫓門、屋根は入母屋造り 。H20.5平成の大修理竣工
●大手門の鯱
帰路は、軽井沢、横川経由だったが、横川には先月来たばかりで、こういう経験は珍しい。
20:10帰着だから15時間近い旅だった。
長月●かかしカーニバルと巨峰狩り [旅]
地域のシルバー連が、バスを連ねて甲斐の国へぶどう狩りに出かけた。といっても、旅行会社の仕事では、ぶどうにたどり着くまでに処々を経巡ることになる。
7時半に出発して16時に丘の上の畑に着いたが、35分後にはバスに戻れ、という塩梅。「狩って食べてなんかする間は、とてもないよ」なんてブツブツいう間もなく、ぶどう棚の下に座らされて、採り方・見分け方、いってみれば“ぶどう狩りマナー”の講義。もっとも、その間、冷やされた巨峰をサービスされて、これだけで結構満足。
いよいよ移動して、めぼしい房をお土産用に切りながら、1房食べたが、これで十分。お土産は100g120円ほどだが、食べた分を計算に入れると、スーパーなんかより、ズンとお得。質もGOOD!
もっとも、安いとはいえツアー料金を勘案しなければならないが、これはかかしカーニバルなんかの見物、恒例のお土産屋でのつまみ食いでカバー。でも、本命は、久しぶりに仲間と違った話題で1日を過ごすことにある・・・のはずだが、後ろの席から漏れてくる話は、例によって“いつもの話題”。ということで、帰路は読書にいそしんだ。
世相を映したかかしが多かった。
高遠城址―絵島囲み屋敷 [旅]
61歳で亡くなるまの28年間、お年寄・絵島(江島)は高遠藩にお預けになった。絵島生島事件の真相ははっきりしないようだが、ここ高遠湖の傍には、そのときの家が復元されている。忍び返しの塀に囲まれた簡素な居宅で、絵島の居室も質素だった。
タカトウコヒガンザクラは明治8年ごろから植え始められたそうだから、この華やかな桜を絵島が見ることはできなかったが、山桜は多かったのではないだろうか。
雪の大谷 [旅]
あいにくの曇り空で、美女平977mから入って室堂2450mに着いたときは霙交じりの全線開通日だった。今年の雪の壁は昨年より高く、16mという。最近はGPSで位置決めしながらの除雪だそうだが、雪の大谷500mで10日間、アルペンルート28kmだと1ヶ月以上かかるという。とくに、雪の大谷づくりはブルドーザー2台とバックホー1台で行われるベテラン作業だそうだ。写真は通常の除雪車。
あとは押せ押せ、トローリー、ロープウェイ、ケーブルカーを乗り継いで黒部ダム1470mへ。傘をさしてのダム見物になった。雪を載せた黒部湖は、雪解けが始るとぐんと水かさを増すのだろうが、意外に水位が低かった。関電トンネル入口に引かれている黒部の水がおいしかった。
高遠の桜 [旅]
いわゆる名所といわれる桜には、小田原・長興山のしだれのほかには訪れたことがない。一度行ってみたかった立山「雪の大谷」を通るツアーに高遠の桜見が入っていた。北陸道の沿線も満開のサクラが堰堤、山麓に、近くに遠くにと、飽きさせない車窓だった。
さすが名所だけあって、高遠城址の約1500本というサクラはそれ以上の数を想わせる規模だった。タカトオコヒガンザクラといい、花形はやや小振りだが赤みが強いから、見栄えは華やかだ。
エジプト紀行アラカルト(3) [旅]
15日はミニア泊まりだったが、宿はナイル河畔のコテージ。
ナイルの朝はすぱらしい。これに似た風景を思い出したが、メコンの朝もよかった。いわゆる観光地の町では見ることができない風景だ。
翌日はアシュート泊まりだったが、ここも中継点で街中の宿。やはりナイル沿いの町だが、町を見歩くといったムードではなく、1人しか通れない宿の入口は小銃持ちの警官が固めている。路地1つを隔てたところに、りっぱなコプト教会があるのに気づいていたから、そこだけは覗きにいった。門をくぐったところまでは入れたが、内部へは入ることができなかった。
●教会のプレートと十字架。プレートには反対側の建物などが映っている。
エジプトの旅アラカルト(2) [旅]
アスワンダム/ハイダムの功罪はいろいろにいわれているが、ナイル川から引いた運河が多くつくられていて、畑にはポンプで水が揚げられている。サトウキビやバナナの畑が広がり、ナツメヤシの木が茂っているが、この揚水もガソリンが30円/リッターだからできることことで、石油を産出する国の強みだ。「サウジではタダ」とは現地ガイド(カイロ大学日本語科卒)Sさんの弁だった。
郊外のレストランでは、入口でパン<アシーネ>を焼いている。焼き立ては美味しい。だから、帰りにまた焼き立てをもらってバスに乗る。町のパン屋では大勢が売り口たむろっているが、男と女とでは売り口が別だ。
4日目の2/16はベニ・ハサンやテル・エル・アマルナの岩窟墳墓群を見て回った。墳墓内の絵画やレリーフは美しく、「これが4千年前のものとは・・・」と、その色彩・模様に感嘆しきり。だが、内部は撮影禁止だから、その美しさは貧相な頭脳に暫時焼き付けるしかない。まして、まだ馴染みの薄い神様や王様の名前や似通った絵柄だから、はやイメージも怪しくなっている。警備の警官や管理人のおじさんの顔は、チップの1ドル札とともに明瞭だが。
メンフィスのスフィンクスは、1本石からつくられた現存のスフィンクスとしては最大のものだそうだ。
アラバスター(雪花石灰)製で、高さ4.5m。プタハ神殿にあったもの。
弥生●エジプトの旅アラカルト(1) [旅]
2/14の早朝、ミラノ経由でカイロのホテルにチェックイン。翌日の半日分を前倒しして、午後からお定まりのピラミッド、スフィンクスなどを見学したから、15日は朝からバスでナイル川にそってアスワンに向けて南下することになった。この半日分の前倒しが効いて、15、16日の見学にゆとりができたのは幸いだった。
カイロは“百塔の町”ともいわれる。プラハもそんな風にいわれるが、カイロの塔はイスラム寺院のミナレットなどが圧倒的。ホテルのベランダから2本のミナレットが特徴のアズハル・モスクが見えたが、最終日に訪れることができた。
15日はダハシュールの屈折ピラミットや赤ピラミット、サッカラの階段ピラミッド、メイドゥームの崩れピラミッドなどを巡った。途中、エジプト古王国時代の首都メンフィスでは、庭にアラバスター製のスフィンクス(アメンポテプⅡ世)とラムセスⅡ世の立像が、博物館内には巨大なラムセスⅡ世石像が横たわっていた。
階段ピラミッドがあるサッカラからは、アブシールのピラミッド群、遠くダハシュールの屈折ピラミッドや赤ピラミッドを遠望できる。メイドゥームでは崩れピラミッドの内部も見学した。
それにしても、エジプトの道路の敷き方は変わっている、カイロ市内もそうだったが、砂漠の中のこのあたりの道路も、目的地に直行できない設計になっている。だから戦車ならともかく、普通の車では道路を辿るしか方法がない。
アンコールの巨大遺跡◆1/6②バイヨン廟 [旅]
アプサラス (अप्सरस) は、インド神話における水の精(ニンフ)で、その名は「水の中で動くもの」の意。天女だともされ、一説では乳海攪拌の時に生まれた存在だという。・・・見た目は歳若い女性の姿で、その妖艶な美貌を使って修行中の人間を誘惑して堕落させるという。(Wikipedia)
女神デヴァターととに、きわめて魅力的な対象である。
●回廊壁面に踊るアプラサス
●砂岩の柱に彫りだされたアプラサス
●女神デヴァダー
アンコールの巨大遺跡◆1/6①アンコール・トム [旅]
南大門前の陸橋の欄干を飾る阿修羅たち。左側には神々が。
8時にホテルを出発し、シェムリアップ市内を北上して30分、アンコール遺跡ゲートに着く。一人ずつ写真を撮られて顔写真つきのペラペラの入場証が渡された。$40で、明日も使う。失くしたらさらに$40だ。九寨溝でも似たような入場証システムだったが、このときは集合写真から各人の写真を切り取ったような記憶がある。
5つの祠堂をを見せるアンコール・ワットのシルエット
午後に訪れるアンコール・ワットを横目に見ながら、アンコール・トムの象徴である南大門に着いたのが9時。相変わらずの人の多さだが、ここがメインの入口で、出るときはたタプロームへ抜けたりする。
アンコール・トムはバイヨン廟を中心にして、ピメアナカス寺院、ライ王のテラス、象のテラスなどがあり、それぞれに見所が多い。なかでもバイヨンの49基の塔と170余の四面仏が圧巻。
「クメールの微笑」と人気の高い観世音菩薩の周りはには観光客が群がっている。素直には写真も撮れない。
「クメールの微笑」